バタヴィア会議; オランダ東インド会社支配の終焉とインドネシア独立への道

17世紀から19世紀にかけて、オランダ東インド会社(VOC)はインドネシアで絶大な権力を握っていました。スパイス貿易、そして後にコーヒーや砂糖などのプランテーション農業で巨額の利益を上げ、その影響力は政治、経済、社会のあらゆる面に及びました。しかし、20世紀に入ると、植民地支配に対するインドネシア人の抵抗運動が次第に激化し、VOCの支配は揺らぎ始めました。
1942年、第二次世界大戦の勃発と日本軍による蘭印侵攻により、VOCの支配は終わりを迎えました。戦後、インドネシアは独立を宣言するものの、オランダは依然として植民地支配を取り戻そうと画策していました。この緊張状態を解消し、インドネシアの独立問題に決着をつけるべく、1949年8月、ハグ(ハーグ)で「バタヴィア会議」が開催されました。
バタヴィア会議: 歴史的背景
バタヴィア会議は、正式名称を「インドネシア問題に関するオランダ・インドネシア間の協議」と称していました。1949年8月23日から9月2日まで、オランダとインドネシア代表団が会議に臨み、激しく議論を交わしました。会議の議題は主に以下の3点でした。
- インドネシアの独立: オランダは当初、インドネシアを自治領として残そうとしましたが、インドネシア側は完全な独立を求めていました。
- 領土問題: オランダが支配下に残そうとしたニューギニア島(西パプア)の帰属について、両国間で激しい交渉が行われました。
- 外交権: インドネシアは、国際社会において独立した国家として認められるために、外交権を確保する必要がありました。
会議の過程: 緊迫と妥協
会議は当初から緊迫した雰囲気に包まれていました。オランダ側は、インドネシアがまだ独立の準備が整っていないと主張し、自治領としての地位を維持することを提案しました。一方、インドネシア側は、植民地支配からの完全な解放を要求し、外交権や領土問題についても譲歩のない姿勢を見せました。
両国の代表団は、激しい交渉の末、いくつかの重要な合意に達しました。
- インドネシアの独立: インドネシアは、1949年12月27日にオランダから正式に独立を認められました。
- 領土問題: 西パプアについては、暫定的に国連の管理下に置かれることとなり、その後住民投票によって帰属が決定されることになりました。
- 外交権: インドネシアは、国際社会において独立した国家として認められる権利を得ました。
会議の結果: インドネシアへの影響
バタヴィア会議は、インドネシアの長い独立闘争に終止符を打ちました。会議の結果、インドネシアはついに植民地支配からの解放を実現し、独立国として国際社会に認められました。
しかし、西パプアの帰属問題については、その後も長年にわたって議論が続けられてきました。1969年に実施された住民投票では、西パプアがインドネシアに編入される結果となりましたが、この投票の公正性については疑問の声が上がっています。
バタヴィア会議の意義: 歴史における位置づけ
バタヴィア会議は、20世紀のインドネシアの歴史において重要な転換点であったと言えるでしょう。会議の結果によって、インドネシアは独立を勝ち取り、新たな国家としての歩みを進めることができました。しかし、西パプアの帰属問題については、今も解決されていません。
バタヴィア会議を振り返ると、植民地支配からの解放、民族自決の重要性を改めて認識することができます。また、国際社会における紛争解決の必要性についても考えさせられる出来事でもあります。